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Channel: 佐藤貴規オフィシャルブログ「我武者羅」Powered by Ameba
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24歳…そして。

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みなさん、こんばんは‼️ブログ全然更新していなくてすいません。先月の29日に無事、24歳を迎える事が出来ました😌✨なので、今日は24歳になって初めてのブログを書きます!そこでみなさんに報告しなければならない事があります😭‼️この度、僕…佐藤貴規はプロ野球(ヤクルトスワローズ→福島ホープス)を退団し、また、、野球でプロに復帰することを卒業しました…。卒業と言ったら、綺麗事にしか聞こえないかもしれません。だけど、僕の中で本気で悩み、考えついた答えがこれでした。21歳で戦力外を味わい、22歳でまたNPB復帰に向けて独立リーグで挑戦し、計6年間野球を職業としてやってきました。高校3年生の2010年ドラフト会議…僕は兄と同じヤクルトスワローズに育成3位で入団。本指名を含め、9人目の入団選手でした。背番号は111番…兄が付けている11+憧れていた青木選手(青木宣親)が当時付けていた1を足して、111の背番号。この番号から、絶対に1桁か2桁の番号に変えてやる!!そう思って入団したことを覚えています。しかし、僕は入団当初から大きな悩みを抱えていました。それは、投球障害(イップス)です。始まりは中学の頃でした。元々中学時代打撃に自信が無く、守備に自信があった僕がまさかこのようなことになるとは思いませんでした。プライドもあった僕は、自分が投げられないことを周りにさらけ出すことが本当に嫌で、毎日誤魔化しながら、治す努力もせず、ただ練習をこなすだけでした。高校に入る直前に知り合いの方から打撃を教わり、そこで投げられない自分を打撃でカバーすれば、自信がついて投げられるようにもなるんじゃないか?と思い、ひたすら打撃に集中しました…しかし、それは治すではなく、逃げでした…心のどこかで、いずれ治るだろう。バッティングだけ良ければなんとかなるだろう。そう思いながら僕の高校3年間はイップスから逃げるようにおわった。ヤクルトへ入団し、春のキャンプが始まった。打撃に自信はあったが、やはり投げることには自信はなかった…僕に期待したくれているコーチの方々がたくさんアドバイスをくれた。毎日練習が終わると付きっ切りで教えてくれました。しかし、それでも僕は自分自身に自信が持てず、打撃で結果を残しても守備面で成長することが出来ませんでした。毎日朝が来るのが怖く、時には指先の感覚さえもない日があったり、昨日出来ていたことが急に出来なくなり、野球が本当に嫌いになりかけていました…そして、2014年10月1日…戦力外通告を受けました。その時は悲しい気持ちもありましたが、正直やっと解放される…もうあの出口の見えないトンネルから抜けられる。という安心感があり、その気持ちのほうが大きかったと思います。戦力外になり、4年間住んでいた寮を退寮し、僕は実家へ1度帰りました。そこから、毎日が家族会議…僕の為にと思って言ってくれている両親や兄弟の言葉さえも響かず、耳を傾けることも無く、毎日が苦しかった…。そんな時、いつも応援してくれているファンの方々のTwitterのコメントを見ました。どれも応援してくれているコメントばかりですごく嬉しかった…野球をやめるはずなのに、、どんどん気持ちが揺らいできた時だってでした。兄からLINEがきた。今までにないほどの長文でした。僕にダメ元で送ってきてくれたのだろう。兄からのLINEを読み、自然と涙がこぼれたよし、応援してくれているファンの為、みんなのため、家族のため、ケガから復帰に向けて頑張っている兄の為に、もう1度野球をやって、イ続きをみる

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